普遍性と文化とハートマーク
普遍性と文化とハートマーク2022 06 10

ふとした疑問

毎年バレンタインの時期になると街中の至る所にハートマークが溢れかえり、百貨店のチョコレートコーナーには長い列ができる。マーケティング戦略の一環として1960年代にチョコレート会社がこぞって「バレンタインデーは女性から男性へ愛を告白する日」と謳い、ハート形のチョコレートを発売し始めたため、女性がチョコレートを好きな人に送るという日本独特の習慣ができたことは知っている人も多いだろう。誰にも馴染みのあるハート形はスイーツの他にジュエリーのモチーフとしても起用され、愛情や幸福の象徴として売り出されている。自分も幼い頃はよくハートモチーフのものに惹かれては、雑貨屋で親におねだりを試みていた一人である。 “かわいい”の代名詞でもあるハートモチーフのものは、大人になった今、打って変わって身の回りに一つもないのだが、なぜハートはあの形をしていて、今もなお世界中の人々に愛されているのだろうか。



揺るがない信念

そもそもハートマークの起源には諸説あり、作り話だろうと思ってしまう内容もあるのだが、最も変わった一説に、絶滅したハーブの実の形に由来するという説がある。紀元前7世紀頃、ギリシャ人が領土を広げるなか、北アフリカの海岸に植民地キュレネが建設される。キュレネの主な輸出品はシルフィウムという、巨大なフェンネルの一種のハーブであったという。古代ギリシャやローマでは、シルフィウムは咳止めとして素晴らしい効果を発揮し、避妊薬としても優れていたため、非常に人気だったそうだ。シルフィウムの実は、現代のハートの形に類似していて、ハーブや植物療法が愛や性を連想させることから、形状の発端であるという推測が生まれたのではないかとされる。キュレネは約600年の間、シルフィウム貿易によって繁栄したため、シルフィウムの実のハートの形が当時発行されていた貨幣に刻印されているほどだったという。

誰かに聞いたら信じてしまいそうなくらい、シルフィウムの説も十分説得力があるが、ハートマークの起源は単純に心臓という説が現代では有力であるようだ。人を好きになったことがある人なら誰でも、心臓の鼓動が急に早くなり、胸がドキドキするような経験をしたことがあるはずだ。当然、それは古代ギリシャや古代ローマ時代の人でも変わらず、心臓は愛の懐と理解された。2世紀頃に臨床医としての経験と多くの解剖によって体系的な医学を確立し、古代における医学の集大成をなした医学者ガレノスの考えでは、心臓は松ぼっくりのような形をした三室構造の器官であり、人間の感情の中心とされていたそうだ。当時はまだ生理学的知識が乏しかった故、医学者ガレノスの考えは、ルネサンス期になるまで長い間受け継がれた。そして心臓が愛の象徴として初めて視覚化された中世においても、真の形は謎に包まれたまま、1250年頃のフランスの寓話の一つ「Roman de la poire (ローマン デ ラ ポワール」に描かれた最古とされる恋する心臓の絵も、ガレノスが唱えた松ぼっくりや洋ナシのような形で描かれた。人体解剖が本格的に始まり、生理学や医学が発展するまでは、どうやら心臓の形は人々の想像にすぎなかったみたいだ。

Roman de la poireに描かれた最古とされる恋する心臓の絵

ルネッサンス期に入ると、長らくタブーとされてきた人体解剖が、1300年頃イタリアで徐々に行われるようになる。科学も発展し、ようやくヨーロッパの科学者たちは、解剖によって心臓の構造への理解に大きな進歩を遂げた。おなじみ、レオナルド・ダ・ヴィンチが心臓の詳細な解剖図を描き始めると、彼らの発見はガレノスたちの主張から離れていった。そして、1628年にイギリスの解剖学者・医師ウィリアム・ハーヴェーが、循環器系の仕組みを説明する記述を発表すると、ハーヴェイが唱えた心臓の模型が医学的な議論を支配するようになる。次第に科学の分野では、心臓は感情の中心という思想は薄れていったそうだ。一方で、古代マケドニアアレクサンドロス大王の生涯と功績を元に多くの空想をまじえ、ユーラシア大陸で語り継がれた伝説群「アレクサンドロス ロマンス」には現代のハートマークに類似した明確な事例が見つかり、その後ハートマークは美術品や本だけでなく、指輪、ブローチ、ペンダントなどの身近な高級品にも用いられるようになっていった。解剖で人間の心臓の形を直接観察するようになり、美術的、宗教的観点から描かれるハートマークと実物とでは全く異なる形であることがわかったが、「心」を示す記号としてハートマークは定着し、愛の懐であるという信念は揺るがなかったようだ。



思いを馳せた形

最近では様々な色や種類のハートの絵文字がスマートフォンにデフォルトでインストールされ、SNS上での反応を示すマークとしても頻繁に使われる。現代において、ハートマークは世界中誰でも共通認識のあるユニバーサルな形であり、私たちの生活に密接な関わりがある。愛する人への愛情表現の一環として、友達にメッセージを送る時にもハートマークを添えたり、マタニティマークもピンクのハートの中にお母さんと赤ちゃんが描かれているが、現代のハートは多様な意味を持ち、単に心臓の記号ではないことがわかる。

Verner Panton (ヴァーナー・パントン) ー「Heart Cone Chair (ハート コーン チェア)」

1950年代後半にデンマーク人デザイナー、Verner Panton (ヴァーナー・パントン) によってデザインされた「Heart Cone Chair (ハート コーン チェア)」というハートの形をしたチェアがあるが、ハートはプロダクトやデザインの世界でも、色々な手法で表現されている。当時のデンマーク出身のインテリア・プロダクトデザイナーの多くは伝統的な技術を洗練し、木を作品に使用したが、パントンはイノベーションと視野を広げることに興味を持ち、当時では実験的な素材を用いるデザイナーであった。ハート コーン チェアの力強い曲線美は彼のビジョンを物語っており、ハートの先端部分の一点で支えるようなデザインは女性の繊細さを表してるような造形であると言える。また、ハートマークを象徴的に使っていると言えば、ドイツ人照明デザイナー、Ingo Maurer (インゴ・マウラー)が1989年に発表したテーブルランプ「One From The Heart (ワン フロム ザ ハート)」も欠かせない。赤いハートのモチーフが目をひくオブジェのようなデザインは、ハートの形をしたシェードの中に光源があり、シェード上部についた同じ形のミラーに光が反射し、天井や床に美しい陰影を生み出す。ポエティックであり、様々な心模様を表しているような作品だ。

Otto Künzli (オットー クンツリ)ー「1 Meter Love (1mの愛)」 (画像提供:gallery deux poissons

ハートモチーフを直接的に扱う作品もあれば、コンテンポラリー・ジュエリーの分野を代表するスイス人デザイナーのOtto Künzli (オットー クンツリ)が1995年に発表した「1 Meter Love (1mの愛)」のように、ハートモチーフを使ってコンセプトを表現する作品もある。この作品は断面がハートの形をしたパイプ状になっており、好きな長さでパイプを切ってネックレスチェーンに通したり、色々なサイズや使い方で身につけられる。愛を数字で計ることはできないのだと知りながらも、人はどのくらい自分を愛してるかと相手に問い詰め、愛されているかを何かの尺度で計らずにはいられないというメッセージが込められている。こういった作品以外にも、PLAY By COMME des GARÇONSのハートマークのロゴは、よく見るとハートの線がギザギザに描かれ、一見睨んでいるようなつり目が2つ付いている。これはポーランド出身のグラフィックアーティスト、Filip Pagowski (フィリップ・パゴウスキー) のデザインであるが、COMME des GARÇONSのブランドの根源にある反骨精神を表しているのかもしれない。あげていくときりがないほど、他にも様々な作品やブランドをはじめ、物やことの表現にハートマークが使用される。

あまりにも普遍的で、自分の趣向からかけ離れていたハートマークは、人間の歴史と文化が創り上げた最も言語に近い奥深さをもつ形なのだと改めて考えると、ハートの形に急に愛着が湧いてきた。

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