フィン・ユールと美学
フィン・ユールと美学2022 07 08

北欧家具の魅力

近年の北欧家具ブームは流行を超えて、もはや定番になってきているように思える。北欧家具風の家具さえ売られているのもよく目にする。自分自身も昔家を引っ越し、家具を探していた時に北欧家具は実際どんなものがあるのだろうと深く調べた。その時にデンマークの近代家具デザインを代表する一人でもあるフィン・ユールの邸宅の画を初めて見て、なんて素敵な色彩の取り入れ方だろうと感動したのを覚えている。建物、インテリア、カトラリーに至るまで、全てのデザインをフィン・ユール自身が手掛けた邸宅は、家具の配置や空間の余白が心地よく、自分の家もいつかどうにかこんな素敵な家にならないかと思ったものである。

フィン・ユールと同時期のデンマークの著名な家具デザイナーといえば他にハンス・J・ウェグナーやボーエ・モーエンセンなど、どこかで一度は名前を耳にしたことがある人物がずらりといる。20世紀初期はデンマークの家具デザインにおいてもっとも重要な時代であり、その頃は「デンマーク近代デザインの父」と呼ばれるコーア・クリントが、数々の著名デザイナーを輩出したデンマーク王立芸術アカデミーで家具デザインの教育を主導していた。彼は計測に裏付けられたデータや数字に基づく機能主義を唱え、リデザインの考えを普及させたことでも有名であり、当時はクリントのデザイン方法論こそがデンマーク近代家具の正統派であるという風潮が強くあった。過去の歴史や様式を見直し、それを時代の需要にあうよう再構築することを信念としたクリントの影響は、門下生であったハンス・J・ウェグナーやボーエ・モーエンセンのデザインにも継承されている。



独自の美意識

一方でフィン・ユールは、アカデミーで教鞭をとっていたクリントの「最良の家具はクラシックなイギリス家具か、イギリス家具の影響を受けた中国家具である」という言葉に反発を覚えたという。それは次第にフィン・ユールの独自の発想で家具デザインを追求していく姿勢を触発し、既成概念にとらわれない独自の美意識の構築に繋がったようだ。今となってはデンマークのモダンインテリアの主流であるが、当時は斬新でメインストリームから逸れた彼独自のアプローチは、なかなか周囲に理解されなかったようだ。私が見惚れたフィン・ユール邸もそのうちの一つであった。

その後、フィン・ユールは当時デンマークの建築業界のトップで、モダニズム建築の傑作であるコペンハーゲン空港のターミナル39などを設計したことで有名なヴィルヘルム・ラウリッツェンの事務所に就職し、やがて1945年に独立しコペンハーゲンに自身の事務所を設立する。独立後、最初の作品がフィン・ユールの代表作となるイージーチェア「No.45」であり、「世界で最も美しいアームを持つ椅子」と称えられた。その全体を包み込むような美しい曲線と考え抜かれた完成美はフィン・ユールにしか実現できない美しい造形と機能性を兼ね備えている。フィン・ユールの出世作ともなったこの椅子は、シート部分が木のフレームから浮いているかのように見える彫刻的な造形をしており、どの角度から見ても美しい。アームの曲線は良質なブラジリアンローズウッドやチークから巧みな技術で削り出されており、非常に贅沢な作りなのが伺える。傾斜をもたせた広いシートは安定感のあるゆったりとした座り心地を生み出し、機能性も高く評価されているが、この椅子を語る上で忘れてはならない人物がもう一人いる。それは、フィン・ユールの奇抜な造形を再現できるスネーカーマスター(技を極めた家具職人に与えられる最高位)のニールス・ヴォッダーである。もともと建築家であったフィン・ユールには家具の製作技術はなく、ニールス・ヴォッダーの優れた技術力は必要不可欠であった。フィン・ユールの良き理解者であり、多くの名作家具は彼の手によって誕生することとなった。



受け継がれるデザイン

フィン・ユールの家具自体も、素晴らしい作品ばかりであるが、彼が水彩画で描いた家具や空間の設計図も大変魅力的だ。Watercolours By Finn Juhl (ウォーターカラーズ バイ フィン・ユール)という題の作品集には、まるで彼の性格が現れたかのような緻密で、繊細な色使いで書かれたドローイングが集められている。代表的な家具を始め、フィン・ユールが携わった設計や内装まで、家具のディテールから空間全体を捉えた彼の美学が記録されている。設計図ではあるが、その一枚一枚がひとつの作品であるかのような完成度で、構図からスタンプの配置やデザインまでフィン・ユールのセンスが漂う。

書籍 Watercolours By Finn Juhl

また意外と知られていないが、実は日本の岐阜県・飛騨高山にも、デンマークにある邸宅を再現した「もうひとつのフィン・ユール邸」がある。飛騨高山のフィン・ユール邸は2012年、デザイナー生誕100年を記念して、デンマーク大使館やフィン・ユール財団等の協力のもと、フィン・ユールや北欧の著名デザイナーと日本で唯一ライセンス生産を手がけている家具メーカー、キタニが手がけた。フィン・ユールの言葉に「選択は2つあります。一つは過去のスタイルのコンセプトを誤って理解し、模倣し続けること。もう一つは、過去の作品を正しく理解し、時代に即したものを創造することです。」とあるように、デンマークにあるフィン・ユール邸を実測、床材のサイズに至るまで建設当時の彼の邸宅を忠実に再現し、現在そして未来に受け継いでいける邸宅を建てたそうだ。北欧の文化を建築や家具を通して学び、さらに改めて日本の文化を再確認できるような場所である。

岐阜県・飛騨高山のフィン・ユール邸
写真提供:キタニジャパン

今年も気づいたらあっという間に半年が過ぎていたが、2022年後半の楽しみの一つに、7月23日から東京都美術館で始まる展示「フィン・ユールとデンマークの椅子」がある。デンマークの家具デザインの歴史と変遷をたどり、フィン・ユールの幅広い仕事を紹介しながら、椅子というあらゆる日常を支える身近な家具にあらためて光を当てる内容は見逃せない。そして、フィン・ユールの水彩画の原画も展示されるようなので、この機会に是非足を運びたいものだ。

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