日常の色の話
日常の色の話2022 06 24

先日、実家の大掃除をしていた時に押入れから大量のバービー人形が出てきた。どれも私の小さい頃のお気に入りで捨てられずにずっと大切に保管してきたものだ。一緒に出てきたバービーの大量の洋服を久しぶりに見て、あれこれとスタイリングを考えて遊んでいたなぁと懐かしい気持ちになったのと同時に、洋服やパッケージなどの至る所に使われているビビッドな蛍光のピンク、ブルーやパープルといった自分の日常からかけ離れた色合いに目がチカチカしてしまった。久々にまじまじと見ると、すごい配色だなと思わず笑ってしまいそうになる。そしてその時改めて、子供用に作られているものは圧倒的に目を惹く色が多いと感じた。これは一説によると、子どもの感受性を育むためだといわれている。多くの色に触れることは多くの刺激を受けることに繋がり、そして多様な色による刺激は感受性を豊かに育むのだそうだ。

大人になった今、当たり前のようにたくさんの色が日常に存在し、それについて深く考えることはあまりない。しかし、誰もが毎日見る空は当たり前すぎて忘れがちではあるが、ふとした時に見上げると、こんなにも美しい色が自分の頭上に存在するのかと気づかされる。時々夕暮れ時にピンク色に空が染まる時があるが、思わずインスタグラムに#Nofilter(画像を加工してない際に使用するハッシュタグ)を添えて投稿してしまう人の気持ちも非常によくわかる。

世の中に存在する色は、常に環境の影響を受けている。それは、周囲に存在する色との相対性や、光の加減によって、だけではない。物理的に周囲の色を取り込み、色自体が徐々に変化していくケースもある。例えば、多くの人にとってフラミンゴはピンクの鳥という認識が通常となっているが、彼らは生まれつきピンク色をしている訳ではない。生まれたてのフラミンゴの色は白や灰色で、成長と共にピンク色に変化する。その理由は、彼らが主食とする藻類やエビなどに含まれる赤い色素の影響で、本来の羽の色からピンク色に徐々に変化するからである。フラミンゴのように、地球に存在する多くの動物は、捕食する生物や植物が保有する色素を食べて体内で吸収することで、自分の身体の色の一部となるようだ。

自然に繁殖するフラミンゴの種類は大きく分けて二つあり、アフリカに生息するレッサーフラミンゴにとってはタンザニアにあるナトロン湖が唯一の繁殖地だという。タンザニアのロリオンドにあるナトロン湖は「炎の湖」とも呼ばれ、世にも珍しい真っ赤な湖で知られる。ナトロン湖のpH(水素イオン指数)はアンモニアとほぼ同等で、水が強アルカリ性のため植物が育たない。木や日陰も全く無いので湖の周りは閑散とし、浅瀬に繁殖するフラミンゴ以外に魚や動物はほとんど生息していないが、その代わりに湖中には多くの微生物が生息している。雨が少ない乾季には、湖の塩分濃度がさらに上がり、それを好む微生物の一種(スピルリナ:藍藻類)が繁殖し始めるため、この微生物が色素を湖に分泌することで水が真っ赤に染まる。この赤い色素は、藍藻類に含まれるカロテノイドという色素で、それを食べるフラミンゴたちも自然とピンク色に染まっていくという原理のようだ。では、ナトロン湖がない日本でも何故ピンクのフラミンゴが動物園で見られるかというと、フラミンゴをピンク色にするために、あえて赤い色素が含有されたエサを与えているからだ。

これは「フラミンゴはピンク色」という我々の期待と認識に応えるために人工的に色が操作されていると言えるが、逆に言えば人工的にピンク色に染まったフラミンゴを動物園で見せられてきた私たちの認識が「フラミンゴはピンク色」となっただけで、自然の摂理で考えれば、ピンク色をしたフラミンゴというのはタンザニアのナトロン湖などの繁殖地でしか見られないはずなのである。他にも日本庭園でよく見る錦鯉もフラミンゴ同様に色の濃い、ムラの無い明るい緋色の錦鯉がファンや品評会で好まれ、高値で売買される。よって、色素のついた餌を与えられ、人の手によって色が変わっているのだ。

また日常生活の中でより身近なもので言えば、市販で売っている鮭の切り身もそのーつではないだろうか。たまにスーパーで異常に色が鮮やかなものを目にして違和感を覚えることがあるが、それは店頭に並んだ時によりおいしそうに、より綺麗に見えるように、鮭が養殖される際に合成のアスタキサンチンの着色料等が添加されるからだ。本来の鮭の身はそこまでビビッドなオレンジ色ではないはずだが、人の目をひくために添加物に頼るようになった経緯があるのだろう。

私たちの生活は、たくさんの色に囲まれている。色は私たちが思っている以上に人の心に影響を与える。ビビッドな洋服を纏う日はなんとなく明るい気分になったり、モノトーンの洋服がきちんとした振る舞いをさせることもある。色には人の行動をも変化させる力があるゆえ、商業的に活用されることも多い。

ここまで考えると、色は絶対的な力をもつものに思える。しかし、色は光の加減など環境によって見え方が変わってしまうし、文化的背景によってその捉え方も異なる(バービーの洋服のビビッドなカラーも国が変われば馴染み深い色なのかもしれない)。さらに、フラミンゴの例のように色同士が物理的に干渉しあい変化することもあるし、色は絶対的なものではないのだ。私たちは常に色と干渉しあって生きているのかもしれない。私は色を操り、時に操られながら、お互いの干渉を楽しんで生きていきたいものである。