リートフェルトと空間の美学
リートフェルトと空間の美学2023 04 14

オランダの画家Piet Mondorian (ピエト・ モンドリアン)の「Composition (コンポジション)」シリーズは、Yves Saint Laurent (イブ ・サンローラン)が1965年に発表したミニドレスにも大胆に取り入れられ、彼の作品の中でも最も知名度が高い。赤、青、黄色の三原色といえば、モンドリアンカラーとも言われ、そのシンプルな組み合わせは目を引くものがある。「新造形主義」とも呼ばれるが、自然の描写ではなく、造形表現を追及していった結果として生まれた垂直と水平の線と原色による表現をモンドリアンは提唱し、それは形と色の要素を可能な限り減らし、幅広く受け入れられる普遍的な作品を求めるものだった。

その理念に基づき、1917年にモンドリアンが芸術家たちと創刊したのが「様式」を意味する雑誌「De Stijl (デ・ステイル)」である。雑誌と同名の芸術グループも組織されたことで、アート、デザイン、建築、文学など、多くに影響を与えることになる。

Composition C (No.III) with Red, Yellow and Blue (1935) Composition C (No.III) with Red, Yellow and Blue (1935)
Photo by Romainbehar on Wikipedia Commons

1918年に手がけた「レッド&ブルー チェア」が雑誌デ・ステイルで紹介されたことをきっかけに翌年からデ・ステイルのメンバーの一員となったオランダ人デザイナー / 建築家Gerrit Rietvelt(ヘリット・リートフェルト)は、その理念を体現したような家具や建築を多く発表した人物だ。リートフェルトは元々ユトレヒトで家具職人だった父親の元で修行し、1911年には自らデザインした家具の工房を始める傍ら建築も学習した。若い頃からマルチで優秀なデザイナーだったそうだ。芸術性の高い「レッド&ブルー チェア」は造形的なバランスと美しさを追求しつつも、15個のブナ材の板と2枚の長方形パネルのみで作られ、いたってシンプルな構造をしている。

シュローダー邸内の「レッド&ブルー チェア」 シュローダー邸内の「レッド&ブルー チェア」
写真集 「Wealth of Sobriety」より

1924年にインテリアデザイナーのシュローダー夫人に依頼を受け、リートフェルトが初めてデザインした家がユトレヒトにあるシュローダー邸だ。デ・ステイルの影響を強く受け、そっくりそのままモンドリアンの絵を建築にしたようにも見えるが、家の内装はとても機能的で限られたスペースを活用する工夫が随所に施されている。

シュローダー邸の外装(写真集 「Wealth of Sobriety」より) シュローダー邸の外装
写真集 「Wealth of Sobriety」より

2階のリビングスペースは、スライド式の仕切り壁が設置されていることで自由な間取りに変えられ、一つの広い空間に最大4つの個室を作ることが可能。その2階へと上がる階段部分もスライド式の引き戸で階段を隠せる構造をしていて、冬には寒さを遮断する役割も果たす。家の外装も、リートフェルトはガラス窓を駆使し、部屋が閉鎖的にならないよう室内への光をうまく取り入れることにより全体のバランスを考えている。よく見ると、シュローダー邸も玄関のドア以外、全ての側面はガラス窓だ。

 左側のスライド式の仕切りが動くことで間取りが変わる
写真集 「Wealth of Sobriety」より
2階へと上がる階段の入口にあるスライド式の引き戸(写真集 「Wealth of Sobriety」より) 2階へと上がる階段の入口にあるスライド式の引き戸
写真集 「Wealth of Sobriety」より

シュローダー邸を考察していると、ふと親しみを感じる瞬間があるが、それは彼が作り出す空間が日本の家の構造にどこか似ているからかもしれない。シュローダー邸のスライド式の仕切りは日本の襖を彷彿させ、ガラス窓の使い方も日本間にある明かり障子のようだ。江戸時代に長らく鎖国していた日本にとって、オランダは西洋で唯一交流があった国であり、19世紀後半に日本美術ブームのジャポニスムも欧米各地で起こる。もしかしたら、リートフェルトはジャポニスムに着想を得ていたかもしれないと想像してしまう。

シュローダー邸 一階の部屋(写真集 「Wealth of Sobriety」より) シュローダー邸 一階の部屋
写真集 「Wealth of Sobriety」より

晩年になると、リートフェルトはアムステルダムにあるゴッホ美術館や自身の名前のついた著名美術大学のヘリット・リートフェルト・アカデミーの校舎など、数々の公共施設のデザインも手がけるようになるが、自身最後の拠点はシュローダー邸だった。1957年に妻が亡くなってから、1964年にリートフェルト本人が亡くなるまでの6年間、1階の部屋をアトリエとして、シュローダー夫人から引き継いだそうだ。

リートフェルトにとって原点でもあるシュローダー邸は、2000年には世界遺産に登録されるほど有名な家だが、決して高価で珍しい素材を使っている訳でもなく、その空間は質素ながらも遊び心や心遣いが所々に垣間見える。そんな部分も日本の美学にも通じるところが強く感じられる、リートフェルトも愛着を持つ建築だ。1978年から一般公開もされているシュローダー邸、いつか必ず訪れてみたい。

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