小さいものと人間の関係
小さいものと人間の関係2022 12 10

小さいものに惹かれる心理

美味しいご飯にそそられ、インスタグラムでつい色々な食べ物の写真や動画を見てしまうのだが、ソーシャルメディアのアルゴリズムの関係か、ミニチュアのおままごと動画が最近おすすめとして出てくる。手のひらよりもひとまわり小さなミニチュアの食べものが出来上がっていく工程を眺めているのは不思議とメディテーティブな効果があり、時間を忘れて見てしまう自分がいる。思い返すと、小さい頃に自分はポーリーポケットというコンパクト型のミニチュアドールハウスにも夢中だった。現代でも、プラモデルやLEGOなどが根強く幅広い層に人気があるのと同じで、世の多くの人が私と同じようにミニチュアのおままごと動画を見たり、子供はドールハウスで遊んでいると思うのだが、なぜ人は年齢を問わず小さいものに惹かれる傾向にあるのだろうか。

そもそもドールハウスとは英訳そのまま人形の家を意味し、部屋の内装や家具、調度品、人形などによって生活空間が表現された、一定の縮尺で作られた模型の家のことを指す。さらに興味本位で調べてみると、ドールハウスやミニチュアを好きになる人間の心理は興味深く、その歴史は何世紀も前に遡るという。元々ドールハウスは現代でいう玩具ではなく、17世紀頃にヨーロッパで登場した当時は裕福な女性たちが高価で繊細な作品をディスプレイするためのもので、今のように動かして遊ぶものではなかったそうだ。やがて、一定の縮尺で作られた模型の家が小さな女の子に家の守り方を教えるための良い教材になるという考えから、徐々にドールハウスが玩具として定着していったようだ。

アムステルダム国立美術館に飾られているPetronella Oortmanのドールハウス (1686年)
Photo by Rijksmuseum on Wikipedia Commons

その後、ドールハウスに収められた小さな人形たちを使っておままごとやごっこ遊びが人間に与える影響の心理的な研究も行われるようになると、人間は4〜5歳頃からミニチュアで出来た人や物に自分の声や考えを託すようになる、ということが分かったそうだ。この人間心理の働きにより、自分の世界と全く別の世界が構築され、現実世界では体験できない生活が出来る場所を提供してくれることが、人間がミニチュアのような小さいものに惹かれる原因の一つだ。また、全体を把握しやすいという理由から、私たちは小さなものに対して脅威を感じなくなるらしい。私たちが小さいものをコントロールできるという感覚を持っていることも、人が小さいものに魅了される事実と関連しているのだろうか。



ミニチュアと想像力

数年前に、デジタルメディアのVICEが各国のミニチュアアーティストたちを対象に彼らが小さな世界を作り続ける理由についてインタビューを行っている記事が面白かった。小さなスケールでものづくりをしているという共通点はあっても、さまざまな視点や見解があるのが興味深い。インタビューを受けていたアーティストの1人のMatthew Albanese (マシュー アルバニーズ)は「ミニチュアは、実現できない世界観や、新しい視点を体験するための最も効果的な解決方法である。」と語っていた。様々な要因があると思うが、小さいものがどう人間の心理に働きかけているかを知ると、私たちは無意識にも小さなものに支配されやすいということも理解できる。

Isaac Cordal “SĄSIEDZI (Neighbours)”. Lodz, Poland. June 2015.
Photo by Zorro2212 on Wikipedia Commons

スペイン人のアーティスト、Isaac Cordal(アイザック・コルダル)の作品にも約15cm程の粘土で作られた小さな人間の彫刻シリーズがある。コルダルの手によって作り出される小さな人間の彫刻は、ジオラマや実際に都市の街中に配置され、現代で起こる多くの社会問題を描写している。水たまりの中で水の中に溺れている者や、壁の縁に立って今にも落ちてきそうな者など、リアルに作り込まれるコルダルの作品は強い印象を人に焼き付けるが、同時に共感も覚える。これはコルダルが生みだす小さい世界が、小型化というシンプルな方法で人間の俯瞰的な視点を作り出し、観客の想像力を大きく膨らませ、人間の存在の不条理に目を向けさせるからかもしれない。



小さいものと日本人

では、日本人は小さいものに対してどういう意識なのか考えてみると、繊細で精巧なものを好む傾向が強いと感じる。『枕草子』の一節である「うつくしきもの」において、平安時代の歌人、清少納言も「なにもなにも ちひさきものは みなうつくし(何もかも、小さいものはみなかわいらしい)」と書いているように、はるか昔から、小さいものへの魅力を日々感じ取っていたことが読み取れる。その後の時代に登場する茶人の千利休も、茶碗の中に宇宙をみたと言われるが、小さな茶碗の中に、想像もできないほどの大きく深い無限の美しさを見出し、宇宙と例えてしまうほどに、小さな世界にの魅了されたのだろう。また、千利休は茶室の基本である四畳半の空間を晩年どんどん狭くし、二畳にまで縮めたが、茶室の最小の空間の中でも最大の宇宙の広がりを表現していたのだと思う。

他にも、日本では一寸法師や一休さんなど「小さな存在」が「大きな存在」を逆に圧倒するという伝承や昔話も多いが、小さいことは否定せずに、ポジティブに捉えて活かそうともする日本人の性質は、このような部分からも影響されているのかもしれない。自分自身、サイズの小さなものか大きなものを、どちらか一つ選ばなくてはならない場合に、なんとなく小さい方を選びがちである。より小さなものを活かそう、愛でようとする日本的な感覚は自分にも自然と染み付いていると実感する。

元々大きなものを小型化することにより、現実では達成できない世界を体験できたり、視野が広がりより客観的に物事を考察できることがよくわかる。色々な事例を上げてきたが、小さな物が人々に大きな影響を与えるジュエリーの存在は、これらに通ずるものがあるのかもしれない。日々の生活において、物の大きさと存在の大きさを比較して考えることは多くはないかもしれないが、物質的な大きさ以上に存在の大きさがわたしたちの心を動かすことに影響していると感じる。