INTERVIEW 001 秋山真樹子さん(ジュエリーライター / 翻訳家)
INTERVIEW 001 秋山真樹子さん(ジュエリーライター / 翻訳家)2022 11 18

世の中にはありとあらゆるジュエリーが存在している。金や宝石といった高価な素材をあしらい、1点1点職人の手によって丁寧に仕立てられたハイジュエリーから、ファストファッションブランドで買えるような安価なファッションジュエリー、時代を反映し歴史的価値が高まるアンティークジュエリーや特定の地域や民族のみに身につけられるような装飾品に至るまで、その種類は非常に幅広く、一括りでは語ることができない。だからこそジュエリーは面白く、語るに値する世界だと思う。

今回のBibliothèqueでは、裾野の広いジュエリーの世界の中でもコンテンポラリージュエリーという領域を中心に寄稿するジュエリーライターの秋山真樹子さんにインタビューを行い、コンテンポラリージュエリーについてやその楽しみ方、そして秋山さんならではの視点でジュエリーの魅力や付き合い方について語っていただいた。

改めまして、秋山さんの活動の中心であるコンテンポラリージュエリーとはどのようなものだと考えますか?

コンテンポラリージュエリーは、その性質上、ひとことで簡潔に説明することが非常に難しい分野です。教科書的な答えにはなってしまうのですが、一言で言えば『自己表現』や『芸術性』に重きを置いたジュエリーです。この分野で扱われるジュエリーはコンセプトを重視していて、身につけられないような重いものや大きすぎるものもあれば、ファッション性が高く多くの人に受け入れられやすいようなものもあって多岐に渡るので、捉えづらい領域ではありますが、定義ができないからこそ多様な作品が存在する面白い世界です。なので意味を理解してから入ろうとするよりも、まずは様々な作り手の仕事の中で、純粋に興味を惹かれるものを見つけて欲しいと思います。

秋山さんはジュエリーの魅力をどのように捉えていますか?

ジュエリーは、象徴対象が広いのに対して存在自体は小さいという不思議なものだと思います。その辺に咲いている花を髪にさしたり、指輪にしたりする日常の自然な欲求から、貴重な金や大きなダイヤモンドなどは、人や一国の運命を左右する大きな事象の象徴にまでなり得るということが、ジュエリーの魅力だと感じます。

どういう媒体を通して人への興味を深めて行くかは人それぞれだと思いますが、私の場合は、善も悪も混然一体とした振り幅の広い人間性そのものを、ジュエリーを通じて見てみたいという気持ちがあります。言ってしまえばジュエリーは業の深い媒体で、そこが面白いです。

またジュエリーは当時の形と変わらず残せることが魅力でもあると思います。洋服だと生地が劣化したりするので、同じ状態をずっと保てないですよね。ジュエリーの場合は、解体されたり溶かされてしまうこともあるので条件はつきますが、貴金属や宝石といった経年変化に耐えられる素材で作られているものは、当時の姿をそのままとどめられます。

ただ、一つの基準で全てを判断することはできません。ジュエリーにはすごく色々な種類がありますよね。例えば、一過性の量産品もある一方、一生に一度お目にかかれるかかかれないかというくらい貴重な博物館級のものもあります。その間にも数限りないレイヤーで様々なジュエリーが存在していて、その価値や意味はそれぞれです。

H&Mに売っているようなジュエリーであれば、その時代の文化やファッション性が重要になってきますし、博物館級のジュエリーであれば希少性やそこにどんな歴史的な意味があるのかが大事になってきます。同じジュエリーでも、一つのものさしで語ることはできない多様な魅力が存在します。

どのようにジュエリーを選びますか?

私がジュエリーを選ぶ時の一つの基準はぱっと見て心を掴まれるかどうかです。ただ、ぱっと見で惹かれるものではなくても、作家さんのコンセプトやこれまでの活動を知って惹き込まれるというケースもあります。第一印象も大事ですが、背景にある考えも同じように重視しています。

見る角度により、光の反射でプレートの色が変化するブローチ
鎌田治朗 / PALETTE / ダイクロイックミラー、コーリアン、シルバー

H&Mのようなファッション性の高いようなものでも、惚れるものがあれば購入を考えますか?

値段にもよりますが、買いますね。ですが、コンテンポラリージュエリーをやっていらっしゃる方に会う際には付けていきづらいというのはあります (笑) 

このことについては、アメリカの若いライターの方が確か10年程前に書いていて、ジュエリー作家さんが集まるところにファッション性が高いチープなジュエリーをつけていったら反感を買ってしまったというような話だったのですが、そこにはコンテンポラリージュエリーにおける一つの問題が表れていると思います。自分たちは単なる飾りやファッションではないのだ、表現やアートなんだという主張が強すぎるのは、時に別のジュエリーを貶めることにつながってしまいます。作品の芸術性に着目してもらうために表現やアートであることを主張する気持ちは分かるのですが、必要以上にその線引きを強くしようとするのは、個人的には抵抗があります。

そもそも何がアートで何がアートでないというはっきりした線引きはできないと思います。つい最近友人と会話をしていた時のことなのですが、私がアートジュエリー(コンテンポラリージュエリーのもう一つの名称)と言った際に、アートジュエリーって変な言葉だと言われました。なぜ私の友人がそう思ったのかと言うと、どんなジュエリーでもアートの側面は必ずあるという風に話していたんですね。その答えが真をついているなと思いました。

自分に関して言えば、単にファッションを目的でつけるよりも、誰が作りどうやって手に入れたのかなど、自分にしかわからないことを思い出したり感じたりすることの方を重視しています。

執筆活動や翻訳を通して、コンテンポラリージュエリーを世の中に広める活動を使命感を持ってやっていらっしゃるように感じます。最大の原動力はなんですか?

執筆をしていて、しんどくなった時になぜこんなことを自分がやっているんだろうとなる時もあり、自分でもよくわからないです(笑) ですが、ジュエリーというものが自分にとってどんな存在か、ということに全て紐づいている部分があると思います。

私は元々コミュニケーションが上手くなく、人と話すと壁を作ってしまうタイプなのですが、ジュエリーに関してだけは初対面の人とでも打ち解けて話すことができます。特にコンテンポラリージュエリーは誰がいつどのような意図で作ったものなのかなど語り合えることが多く、表現も豊かなので会話のきっかけにもなりやすいです。今の自分のアイデンティティや考え、人間関係はジュエリーを中心に形作られてきたと感じますし、社会的な命綱ともいえる媒体がジュエリーだったので、その分野に対して恩返しする、ではないですが、自分ができることはなんだろうと思った時に、書くということがしっくりきました。それが活動の原動力に繋がっています。

ジュエリーを毎日選ぶ時にその日に会う人との会話を想像しながらジュエリーを選んだりすることはありますか?

状況は考えますね。例えば、先日トークイベントをさせて頂いたことがあったのですが、その時につけたのが、インダストリアルデザイナーとしても著名なGijs Bakker(ハイス・バッカー)の指輪と香港在住のジュエリー作家でジュエリー関連のブログも運営しているJuniper Wu(ジュニパー・ウー)が送ってくれたワッペン型のブローチでした。香港の友人は私の活動を支持してくれている人でもあるので、ブローチは講演会の御守り的な意味合いも込めてつけていました。また特にトークのテーマとは絡んでいる訳ではないのですが、両方とも形が丸いもので、円環のように繋がりというものを感じさせるが完結している二つのモチーフの繋がり方を楽しんでみました。

中でもブローチは自分にとって特殊な位置付けで、自分が選ぶものはユーモアのセンスが混じっているものを選ぶことが多いです。言葉が入っているものや、一見小さいものでも、よく見ると面白いものを好んでつけています。

表に“YOU CAN’T BUY HAPPINESS(幸せを買うことはできない)” 、裏に“BUT YOU CAN BUY JEWELLERY(でもジュエリーを買うことはできる)”という言葉が刻まれたブローチ。
Morgane de Klarke (モルガン・デ クラーク) / Label Brooch / ポリエステル、コットン、マグネット

ファッションも自己表現する上でよりダイレクトにコミュニケーションができるツールだと思いますが、そもそもなぜ秋山さんとってジュエリーだったのでしょうか?

小さい頃からビーズ細工だったり、手を動かして何かを作ることが好きでした。元々の自分の傾向や嗜好性が小さく、形がしっかりあるものに向いていた、ということがあるかもしれないです。もう一つ、自分とジュエリーの関わり方として、ファッションとしてジュエリーをつけて自己表現を楽しむというよりは、ジュエリーという小さな世界の中にある様々な表現を見たり考えたりすることが好き、ということが私の原点です。

身なりを通じて自己表現をするということはあまり得意ではないとのことだが、少しづつ作品性の高いものも、そうでないものも両方受け入れ、身につけることに比重をおきジュエリーについての思考をこれからも深めていきたいと秋山さんは語る。

ここまで作品の背景やジュエリーと人との関わりについてお伺いしましたが、どのような色や形、素材に惹かれますか?

ここ数年惹かれる素材は銀です。ヒコ・みづの時代から友達でもある増﨑啓起さんのブランド「GIFTED (ギフテッド)」というシルバーを中心にしたブランドの展示会に数年前に行く機会がありました。その際に彼が作るジュエリーがずらっと並んでいるのを見て、銀はこんなに高級感が出る素材なのかと強い印象が残っています。それからことあるごとに銀を意識するようになりました。銀はコマーシャルジュエリーで手軽なものもありますし、細工や仕上げのこだわり方で高級に魅せることもできます。また同時に、コンテンポラリージュエリーの作家さんがするようなアーティスティックな表現も可能です。例えば、Karl Fritsch(カール・フリッチ)というドイツの作家がいますが、彼の作品はジュエリーを鋳造で作る際に本来であれば表面から消し取ってしまう指紋をそのまま残してジュエリーにしています。また、David Bielander (ダービット・ビーランダー)という作家は銀を使って本物の段ボールに見えてしまうユニークなジュエリーを作っていたりします。完全に黒く燻して仕上げるのと、白さを維持したままにするのとでは同じ作品でも全く印象が変わってきますし、仕上げの面での扱いにくさはありますが、金属としては加工がしやすく様々な表現ができ、非常に包容力のある素材だと思います。その反面、作家さんのセンスや技量がダイレクトに出る素材だといえるかもしれません。

GIFTED (ギフテッド) / シルバーのピンキーリング

最後に、いくら積まれても渡せない一点があれば教えてください。

面白い質問ですね(笑) 一つではなく二つで申し訳ないのですが、一つ目は亡くなった祖母から譲り受けたミキモトの真珠のネックレスです。もう一つはOtto Künzli (オットー・クンツリ)ご本人から頂いたハートのパイプのネックレスです。オットー・クンツリはコンテンポラリージュエリーの世界でもビッグネームの一人で尊敬する作家でもありますし、私がKlimt02(クリムトツー)で記事を書かせて頂けるようになったのは彼のお陰でもあるので、書き手人生における恩人でもあります。 コンテンポラリージュエリーを知らない人に会った時に、とても説明しやすいのがオットー・クンツリの作品です。彼の作品の一つに、美術品などが売約済みになった際に貼る赤いシールをモチーフにし、それを人間につけてしまおうというコンセプトの作品がありますが、彼の作品のコンセプトを説明するとすぐに面白さが分かってもらえます。1cmのハートパイプのネックレスにしても、愛情を切り売りできるのかというとてもシンプルなコンセプトですよね。身につけるものとしても魅力的なので、コンセプトのあるジュエリーの面白さを一言で分かってもらえます。

Otto Künzli (オットー・クンツリ) / 1cm of love 1995 / 22kゴールド、ナイロン Otto Künzli (オットー・クンツリ) / The Red Dot / 画鋲、ゴム

秋山さんはコンテンポラリージュエリーを中心に活動されているが、垣根なくジュエリーというものがとても好きな方なのだとインタビューを通して伝わってくる。日々何気なく身につけるジュエリーひとつにも人間の意識が働いていたり、時には社会情勢すら変えてしまえるような媒体にもなりうる様々な側面を持つジュエリーの奥深さを、今回のインタビューで改めて知ることができた。多種多様なジュエリーがある中で、それぞれの良さがあり、見えない壁があるようで実は無いのかもしれない。Bibliothèqueのインタビューでは、今後も様々な人のジュエリーの捉え方や付き合い方を探り、ジュエリーの奥深さを伝えていこうと思う。



Profile

秋山真樹子 Makiko Akiyama

専門学校ヒコ・みづのジュエリーカレッジ コンテンポラリージュエリーコース卒。卒業後、同校での教職を経て翻訳・執筆業に転向。Art Jewelry Forumアンバサダープログラム日本代表。共著に『Sprng/Summer 16_green gold』(Schmuck2編、2017)『Jiro Kamata: VOICES』(Arnoldsche Art Publishers、2019)がある。

Tumblr | https://makikoakiyama710.tumblr.com/
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Twitter | https://twitter.com/akiyama_makiko

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